『怒羅権と私 創設期メンバーの怒りと悲しみの半生』#1
● 腹や腕を縫い、ワンカップ大関で消毒
敵対する暴走族やヤクザとの抗争もこの時期を皮切りに苛烈なものになっていきます。
怒羅権は少しずつメンバーが増えていましたが、全盛期の規模には達していませんでした。
それでも喧嘩をした相手は、数千人は下らないでしょう。
私たちは徹底的に暴力をふるいました。
そのため、怒羅権はよく根性があると言われますが、違うのです。
根性がないから、怖いから、暴力をふるうのです。
とことん恐怖心を植え付け、復讐しようなどと決して思わないようにしなければ、こちらが殺されます。
私たちがいたのは残虐でなければ生き残れない世界でした。
私たちは異端者として差別され、社会にも守ってもらえないことは浦安事件や朱金山事件で思い知っていました。
私たちが大怪我をすることも珍しくありません。
病院にはいけないので、自分たちで治したものです。
ナイフで割かれた腹や腕を縫い、ワンカップ大関で消毒したこともあります。
そんな中で私は一応医者の子でしたから、衛生兵を自負していました。
怪我人が痛がって治療できないとき、まず私を殴らせます。
口の中が切れて血が出ます。その勢いで処置をします。
痛いとは言わせません。私も痛いのですから。
● 「肋骨は6本ずつ折りました。歯や指も折ります」
この頃、ある暴走族との抗争で両腕を折られる大怪我をしたことがあります。
このときは流石に病院にいきました。
骨が割れ、皮膚から飛び出していて、とても素人では無理だったからです。
医者は驚いていました。
そして、こんなことを言いました。
「なぜ君のようなまじめそうな子がこんな怪我をするような喧嘩をしたのか」
私はまじめそうな風貌だったのでしょうか。
そのときの私は胸中で、この医者をあざ笑っていました。
「こんな連中が俺のことなど理解できるはずがない」と考えていました。
このときは家族に知らせが行きましたが、父は何の反応も示しませんでした。
傷が治ったらすぐに復讐しました。
15人で40~50人の相手チームを鎮圧し、土下座させ、1人ずつ木刀で腕を折ります。
肋骨は6本ずつ折りました。歯や指も折ります。
拉致して橋から河に投げ落としましたし、彼らの車は燃やしました。
ヤクザが出てくれば相手の顔に任侠映画のような傷をナイフでつけ、事務所を全壊させました。
この時期の狂乱が、現在も語られる怒羅権の伝説のスタートだと思います。
私が刑務所にいた頃、よく同室のヤクザからは修羅場をくぐった武勇伝を聞かされましたが、すべて可愛いものでした。
● すべて自発的に動く集団
怒羅権拡大の拠点になったのは、池袋にあった文芸坐という映画館でした。
普段はアングラ映画がかかっているのですが、年に一度、中国映画祭をやっており、都内の残留孤児の集いの場になっていました。
そこで都内各地からやってきた中国残留孤児2世が出会い、ときに喧嘩をし、ときに意気投合をし、怒羅権へと合流していったのです。
怒羅権は葛西で誕生したので、総本部は葛西怒羅権と呼ばれますが、90年頃の府中怒羅権や八王子怒羅権の誕生は、この映画館がきっかけでした。
現在も怒羅権は警察に潰されずに残っていますが、それはゆるやかな横の線で繋がった組織だからだと思います。
巨大な怒羅権の中に10人から30人くらいのグループがいくつもあるという形でした。
普通の暴走族は確固たる上下関係があり、縦でつながる組織です。
そのため警察が組織を壊滅させようとするとリーダーを逮捕します。
しかし怒羅権は、メンバーの誰かが攻撃されたら助けにいくという原則だけがずっと存在しており、リーダーの命令で行動するのではなく、すべて自発的に動く集団なので、そうした方法は効果がないのです。
● 記事の内容を一部引用しました。全文はソースでご覧下さい。
https://bunshun.jp/articles/-/43502
https://bunshun.jp/articles/-/43502?page=2
https://bunshun.jp/articles/-/43502?page=3
https://bunshun.jp/articles/-/43502?page=4
https://bunshun.jp/articles/-/43502?page=5
引用元: ・半グレ集団『怒羅権』元幹部「日本は残虐でなければ生き残れない世界。50人を土下座させ木刀で腕や指、肋骨や歯を折って川に投げ込んだ」 [花夜叉★]
要点
怒羅権拡大の拠点になったのは、池袋にあった文芸坐という映画館でした。
普段はアングラ映画がかかっているのですが、年に一度、中国映画祭をやっており、都内の残留孤児の集いの場になっていました。
そこで都内各地からやってきた中国残留孤児2世が出会い、ときに喧嘩をし、ときに意気投合をし、怒羅権へと合流していったのです。
作り話なら俺でも言える
昔テレビで傷口みたよ
中国差別も今なんか比べらんないくらい酷かった
自分たちの都合の良い解釈で日本人に暴力ふるわれたらたまらんな。
何で日本に来たんだよ。
通報だろこんな奴
みずから殺人味認めてんじゃん
嫌なら出て行けば?小学じゃねーんだからさ
全滅すればいいのに、こういうことする奴
浦安事件ってなんなのかと思ったら仲間が相手をナイフで刺したら少年院送致が決まったって当たり前じゃん
しかもそのあと弁護士の力で無罪になったって書いてあるし
要するに、人として生きるのは無理だということですな
山奥で猿のように暮らせばいいのに
犯罪自慢の中国人へのイライラがちょっと和んだ
米軍や人民解放軍の方が1億倍怖い
こんな基地害どもの居場所では、そうなんだろうな。
もっとも日本しか知らずに言ってるアホさに、頭抱えたくなるが。
そこまでバカで単純でないと、半グレなんぞ務まらんか。
これが奴らの本性
絶対に相容れないわ
読んでて胸くそ悪いにつきる
俺がこの時代にいたら一言言って早めに改心させてやったのに
そこはそれ、エンターテイメントだから
刑務所の中でも武勇伝で盛り上がるんだろう
>>22
怒羅権がやくざになって、指を詰めたらドラえもんと言う
これマメな
医者の息子って時点で
なぜグレたのか
そりゃ誰にもわからんだろう笑
早く届かねえかな
楽しみすぎる
その辺の中国人をでっち上げて日本に連れてきたんだっけ?
熊谷6人殺害事件のペルー人みたいな、インチキ日系人がたくさん入ってきたんだろうな
遵法精神がないから避けられてるだけじゃん
このときは流石に病院にいきました~
行けるんじゃん!w
これマメな
「こんな連中が俺のことなど理解できるはずがない」
私たちがいたのは残虐でなければ生き残れない世界でした。
「俺たちは異端者として差別され、社会にも守っ
てもらえない」
どうやらグレたのは自分が
勉強できなかっただけくさいなw
俺は魂斗羅を思い出した
意味わからんし勝手にグレただけじゃん
めっちゃ美味かったわ
刺されて病院行かずに治した言ってたわ
喧嘩の強弱よりも如何に卑怯で残虐かが大事みたいだし
こんな見た目になりたい
どうすればこんなオーラを出せるんだろう
眉毛剃れば?
確かに残酷だな
語学力活かして貿易商人になって
かなり成功してるらしーじゃん
日本の40代でことごとく落ちぶれる半グレとは
成り上がり方が違うがそこには触れないのは
こいつはどこまでも頭が悪かったせいか笑
中国残留孤児だったのか…
龍を名前にしたのも中国の思いゆえか
今だとこんな風にヤクザが雇用の受け皿にはならなそうだが
>怒羅権が誕生したときに暴走族になりたかったわけではないように、ヤクザになりたいわけではありませんでした。しかし、組事務所には温かい食事があり、ベッドがあって、組員には「寝るところがなければ遊びに来い」と誘われます。当時、盗みをして得た金でサウナに泊まることが唯一の幸せだったような私ですから、布団の上で眠れるというのは幸福で、出入りするうちに仕事が与えられるようになり、部屋住みという形になったのです。
>学校の画一的な圧力が嫌で不良になった身です。灰皿のマナーやお茶の出し方など、決まりごとが数多くあるヤクザの世界はそれよりもはるかに厳しく、私にとっては馴染むことのできない世界でした。
暴走族を仕返しで全員の腕折って歯へし折ったのはむしろ良くやったって感じだし、逮捕されたヤクザ殺しはヤクザの方どう考えても悪い